1. 資生堂:「顧客の望みは生活の充実」購入前後の期待や満足を高める 1.1 美容アドバイスやアバターで愛着を生む 1.2 ネット上で経験価値を高める動きが盛んに 2. タニタヘルスリンク、アサヒフードアンドヘルスケア:地道な努力を楽しい体験に変換、深い経験談の共有も有効 2.1 仮想的なウオークラリーで世界中を観光 2.2 ダイエットの努力や経験談の披露を得点化 2.3 ネットから育った優良顧客の経験談を外部へ 3. エクシング:履歴情報とウェブで楽しさ拡張、持ち歌や仲間を探す場を提供 3.1 ウェブ上で新たな楽しみ方を提案 3.2 対応端末は異例のロングセラーに 4. パナソニック、三井不動産レジデンシャル:まず顧客のきずなを作る、既存のファンの力も生かせ 4.1 経験談を広めて仲間との―体感を与えよ 4.2 「親友に薦めたいか」を定量化せよ 4.3 “先輩"の経験でロイヤルティーを高めよ |
「顧客経験価値」の見える化で優良顧客を作る 日経情報ストラテジー 2009.5_pp.034-046
顧客の価値観が多様化し、機能が優れていても売れるとは限らなくなった。 しかし、一見すると競合他社と機能的な差異がほとんど無いにもかかわらず、底堅く売れている商品やサービスもある。 これらを手掛ける企業は、顧客に商品やサービスを売っているだけではない。 「顧客の印象に強く残る経験」すなわち「顧客経験価値」を同時に提供することで、移り気な顧客の心をつかむことに成功しているのだ。 本来、顧客経験価値は視覚ではとらえにくいものだが、ネット上では見える化できる。 この特徴に注目した先進企業の間で、経験を軸にした優良顧客作りの施策が盛んになっている。
1. 資生堂:「顧客の望みは生活の充実」購入前後の期待や満足を高める
顧客の価値観や消費スタイルの多様化が著しい。機能が優れていても、愛着が感じられない商品やサービスには、顧客はなかなか手を伸ばさなくなった。口コミサイトなどの普及もあり、見る目を養った顧客の選別は厳しさを増すばかりだ。 しかし一方で、親しみを感じる商品やサービスに惜しみなく出費する顧客も増えている。商品を購入するだけでなく、愛着を感じた商品を自発的に宣伝したり、企業が思いつかないアイデアを提供したりするタイプの優良顧客が存在感を増している。優良顧客と良好な関係を築くことは、企業にとって従来以上に重要な課題となっている。 こうしたなか、「顧客経験価値」という概念を軸に優良顧客とのきずな作りに力を入れる企業が徐々に増えている。 顧客経験価値とは、商品やサービスの機能やスペック自体の価値ではなく、購入・利用する時点やその前後のプロセスで、顧客の内面に影響を与える価値を意味する。ランニング・シューズを例に取ると、足の衝撃を吸収するクッション性能の高さではなく、靴を履いて長距離を走れたという経験がもたらす爽快感が当てはまる。カメラであれば、それを携えて旅行を計画する際のワクワク感や、写真の出来栄えを褒められた瞬間のうれしさが顧客経験価値だ。顧客がどんな気持ちで商品やサービスにかかわるのかが、顧客にとっての価値を大きく左右するという考え方が根底にある。 顧客経験価値は米国の経営学者であるバーンド・H・シュミット氏らが2000年前後にマーケティング活動に取り入れるよう提唱したことで、多くの企業の注目を集めるようになった。シユミット氏と顧問契約を結んでいるアサツーディ・ケイの沼田洋一R&Dユニットリーダーは、「顧客に合った顧客経験価値を提供すれば、購入前の関心を喚起できたり、購入した後の満足感を高めてリピート需要を起こしたりしやすくなる」と顧客経験価値の効果を説明する。あらゆるプロセスに最適な顧客経験価値を提供することで、顧客の企業に対する信頼感も高まるという。 顧客経験価値に注目する企業の1社は資生堂である。同社の商品を利用する顧客が得られる様々な経験をネット上で提示する新サービス「資生堂マイページ」を2009年3月31日に開始する。
--- 【図】資生堂が3月31日にネット会員向けに開始する「マイページ」。自分のアバター(ネット上の分身)を作り、ヘアスタイルやメーキャップのアレンジを簡易的に確認できる。 ---
1.1 美容アドバイスやアバターで愛着を生む
資生堂マイページは、会員専用のウェブページを用意して、美容関連の情報を顧客ごとにカスタマイズして配信するサービスである。 一見よくあるサービスに映るが、中身には大きな違いがある。商品を紹介したり、顧客が気に入った商品を登録できたりするだけではなく、顧客の生活にかかわる情報の配信に力を入れている。 中村均コンシューマーリレーション部課長は「顧客が当社の口紅を購入するのは、口紅という“もの”がほしいからではない」と語る。「口紅をつけることで美しくなり、生活が充実することを望んでいるからだ(中村課長)。だからこそ、顧客に口紅を販売したらおしまいではなく、それをつけた顧客の生活を充実させる情報を配信する。生活の充実という経験価値を顧客が得られるように支援して、その経験に利用する化粧品や、資生堂に対する信頼感が高まることを期待している。
--- 【図】顧客個人の経験を踏まえた情報を提供するサービスが充実 サービス名:概要 キレイアドバイス:顧客の肌の悩みやライフスタイルなどに応じた専用の美容アドバイスを毎日配信 マイキャラクター:顔解析技術を応用し、顧客が登録した写真データを基にした顧客そっくりのアバターを生成。ヘアスタイルやメーキャップのアレンジを仮想体験できる メッセージFromボディ:体内リズム(生理周期)の変化を定期的に伝達し、肌や体のリズムに合わせたアドバイスやおすすめの商品情報をメールで配信 なりたい顔立ちメーク:顧客の顔立ちの特徴を生かすメーキャップを紹介。パーツごとに解説を添え、顧客が理想とするイメージに近づけやすくする マイスキンケアアイテム:顧客が使用中、または購入を検討している商品の詳細や適切な使用順序をアドバイス ---
同社の狙いを象徴するサービス・メニューは「キレイアドバイス」である。顧客が事前に登録した肌の悩みや年齢、職業などのライフスタイルの情報に基づいて、顧客ごとに内容を変えた美容アドバイスを毎日配信するものだ。 例えば、外回りが多い勤務体系の会員には「日差しが強くなります。外出の多いあなたは紫外線に注意しましょう」といったメッセージが届く。顧客ごとにメッセージを変えることで、「私に合っている」という印象を顧客にもたらしている。 「マイキャラクター」はイラスト形式のアバター(自分の分身)を作り出すメニューである。サイトを気軽に楽しんでもらう機能だが、資生堂ならではの工夫もある。顔解析技術を応用して、会員が登録した写真データから、そっくりのアバターを作り出す。「私の分身」という印象を強めて、愛着を持ってもらうわけだ。 作成したアバターには、実際の商品と同じ配色のメーキャップを施せるようにしてある。会員はこのアバターを利用して、様々な色合いのメークを、ヘアスタイルなども変えながら着せ替え感覚で楽しめるようにしている。 気になっている商品を、購入前に仮想体験する用途にも使える。同じ商品でも使い方や服装との組み合わせ次第で、知的な印象を与えることもあれば、派手な印象をもたらす場合もある。使用感を確認しておけば、購入時の納得感が高まる。 中村課長は試験サービス運営時の顧客の反応から手応えを感じている。会員が一定期間アクセスしないとアバターが涙を流す仕様にしたところ、会員から「なぜ私の顔を悲しくするのか」というクレームが寄せられたのだ。「遊び心の要素として軽い気持ちで入れていた。申し訳ないことをしたム中村課長)と反省しつつも、「アバターを自分のことのように顧客がとらえていることが分かってうれしかった」と語る。アバターヘの愛着が、ひいてはサイトや資生堂への信頼感につながる。 ロイヤルティー向上の効果も見込めそうだ。資生堂は具体的な数字こそ明かさないものの、試験サービスのモニター会員は、ほかの会員よりもサイトに訪問する頻度が明らかに高まったという。良好な経験をネットで提示することで、企業への信頼感が増したと考えられる。
1.2 ネット上で経験価値を高める動きが盛んに
資生堂の取り組みのようにここ数年、顧客経験価値を重視したマーケティング活動が特にネット上で盛んになりつつある。 2000年前後に概念が注目され始めた当時は、価値の高い顧客経験とは何なのか、ロイヤルティーにどれだけ影響するのかを観察すること自体が難しかった。 ネットを活用すれば、顧客がどれだけ好感をもったり興奮したり快適さを感じたりしてくれているのかが直接観察できる。しかも、アバターに化粧する疑似体験の場を提供したり、何かを競うゲームイベントを催したりと、顧客向けのコンテンツ作りに創意工夫の余地が大きい。 さらに利用・使用経験を書き込んだ顧客同士が互いの経験を共有し、結び付くことによって得られる一体感も、強力な顧客経験価値となる。結果として「顧客同士が結び付く場を提供している企業へのエングージメントも高まる」(野村総合研究所の田中達雄・情報技術本部技術調査部上級研究員)。資生堂も、顧客同士がアバターを使って交流できるコミュニティーなど、顧客同士がつながりを持つ仕掛けを作っていく予定である。 化粧品のようにもともと感性面の価値が重視されている商品分野だけでなく、健康関連市場や音響機器などにも同様の取り組みが広がっている。以下ではそうした取り組みを見ていこう。
--- 【図】顧客経験価値をネットで見える化することで期待できる効果 ---
2. タニタヘルスリンク、アサヒフードアンドヘルスケア:地道な努力を楽しい体験に変換、深い経験談の共有も有効
ダイエット関連商品のように顧客が継続的に利用すると効果が表れる商品やサービスでは、「継続的に利用したい」モチベーションを顧客にいかに喚起させるかが重要だ。そうした目的にもネットを使った顧客経験価値の見える化は有効だ。 例えば、購入した商品を地道に使い続けた結果をネットで仮想的に見せて体感してもらうことで、顧客に楽しんでもらう芸当が可能になる。また、ネット上で仮想競争会を開催するなど、イベントを企画することでもリピーターを増やせる。
2.1 仮想的なウオークラリーで世界中を観光
ダイエット関連製品にかかわる仮想的な楽しい経験を顧客に提供している好例は、体組成計大手のタニタ(東京・板橋)である。同社は2007年3月から、体組成計や歩数計などの健康機器の利用を支援するウェブサイト「からだカルテ」を、子会社のタニタヘルスリンク(東京・千代田)を通じて運営している。月額580円からの有料サービスだが、会員数は数万人規模に達する。利用料金には通信機能を備えた健康機器の2年分割払い代金が含まれている。いわば、ハードウエアに活用意欲を高めるサービスを加えることで高い経験価値を提供するビジネスモデルだ。 歩数計や体組成計などの健康機器は、長期にわたってデータを取ることで健康状態の異常に気づきやすくなる。しかしそうした成果を得る前に測定作業を続けることに挫折してしまうユーザーが多く、商品そのものの機能や性能をいくら工夫しても商品価値が高まりにくい。「顧客が購入した後をいかに支援するかが長年の課題だった」(タニタヘルスリンクの坂井康展代表取締役社長)。坂井社長は、継続利用を促すうえで不可欠な楽しさを表現するべく、からだカルテを企画した。 同サイトで経験価値を提供している人気イベントの1つが、歩数計のユーザーを対象にした仮想ウォークラリー「Walk Around The World」だ。同サイトに歩数データを送信していくにつれ、世界各地の有名な観光地などを仮想的に体験できる。 観光名所をウォーキング用ルートに定め、1万~10万歩を目安にしたチェック・ポイントを設けてある。チェック・ポイントの歩数に到達するたびに風景の写真や観光地を紹介する文章を切り替える。これにより、顧客は歩数計を利用することであたかも観光地を巡る気分を味わえる。 同イベントではチェック・ポイントに到達した日数が、全国の会員の中で何番目だったかを確認できる。会員同士が競い合うことによっても楽しさを演出し、使い続けるモチベーションを高める。 歩数イベントは年に3~4回開催しており、会員の参加率も高い。イベントのウェブページは、からだカルテ全体のトップページとほぼ同数のアクセスがあるという。 発足から2年が経過したが、サービスの解約率は1%未満であり、「わざわざ私を訪ねて要望を伝えてくれたお客様もいた」(坂井社長)。今後はより幅広い顧客と良好な関係を築くため、機能を限定した無料の会員制度も検討する。
--- 【図】タニタは歩数形の顧客向けに仮想ウォークラリーを開催。顧客は歩数に応じて世界各地の観光スポットの写真や文章を楽しめるほか、会員同士で順位を競って盛り上がれる。 ---
2.2 ダイエットの努力や経験談の披露を得点化
一方、アサヒビール子会社でダイエット食品などを販売するアサヒフードアンドヘルスケア(東京・墨田)は、顧客から深い経験談を引き出す「場」を運営して顧客に経験価値を提供している。 同社は2006年4月、ダイエットを支援する健康食品「スリムアップスリム(SUS)」シリーズを発売したのと同時に商品購入者限定のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)サイト「clubSUS」を開始した。日々のダイエット活動の結果を記録できるほか、一緒に活動に励む仲間を見つけ、互いの経験を通じて結び付く場を用意する。顧客同士のきずなを強め、SUSシリーズのファンになってもらう狙いである。 2009年2月時点で約1万2000人の会員を抱える。
--- 【図】紅白対抗形式のダイエットのイベントを企画して会員同士の結びつきを強める ---
SUSシリーズのブランド責任者である鈴木章子ヘルスケア事業本部営業統括部薬品営業部プロデューサーは、「いかに会員同士の横の関係を作り出すかを意識してサイトを運営している」と語る。そこで、会員のダイエット経験を書き込みやすくし、共有しやすくする仕掛けをいくつも用意する。 特に大きな成果を上げたのは、ダイエットの成果などをチームで競うclubSUS上のイベント「SUSダイエット塾」である。イベントヘの参加を表明した会員を2つのチームに分けて組織化。体重の減少分やコメントを書き込んだ回数などを得点で表示し、紅白対抗戦の要領で競うものだ。自身の地道なダイエットに対する努力がチームの得点となって表れることで、「仲間に貢献できる喜び」という経験価値も提供するわけだ。 ダイエットの経験談などのコメントの書き込みも得点に加える。会員が互いの経験談を公開し合い、共有することで「経験で結び付いた仲間が集う楽しい場」が出来上がる。これによって多数の会員のモチベーションを高められる。 内容の濃い経験談を引き出しやすくするため、ダイエットに成功した経験を持つライターを「塾長」に起用。塾長がファシリテーター役を務め、「これまでに試みたダイエット手法」「ダイエットによって生じた体調の変化」といった会員の経験にまつわる質問を投げかけて書き込みを促す。書き込みにフォローを返す一方、外食時のメニューの選び方といったダイエットのノウハウも提供し、会員の意欲と知識を高めている。 SUSダイエット塾は2007年夏に第1回を実施。その後、2008年4~5月に第2回を開催した。第2回は複数のファシリテーター役を登場させるなどの変化を加えたことで、序盤から盛り上がりを見せた。 2009年も4月に開催する予定だ。
2.3 ネットから育った優良顧客の経験談を外部へ
「懺悔の部屋」は、ダイエットの失敗談を書き込む簡易掲示板である。失敗談を書き込めるだけでなく、「わかる!わかる!」という“共感ボタン"も用意。閲覧した会員が共感を表せる。 「SUSで3食を通すつもりが、途中で我慢できずにバイキング形式のレストランで食べてしまい、1.5キロも大ってしまいました」---。陥りがちな失敗談が書き込まれるたびにコメントに共感してわかる!わかる!ボタンを押した会員が多数いることを表すアイコンがずらっと並ぶ。 このように会員の経験談を様々な形で引き出し、共感度合いも見える化した結果、会員同士の横のつながりが生まれた。「開始当初と比べると、面識のない会員同士が“ダイエット友達"としてコミュニケーションを取る光景が明らかに増えた」(鈴木プロデューサー)。ユーザー同士の共感が、同社のダイエット食品を使い続ける意欲を高めることにもつながっている。 鈴木プロデューサーは3年間運営してきて、そろそろ次の段階に進む時期が来たとも感じている。一定人数集まったロイヤルティーの高い顧客の協力を得て新たな活動を企画中だ。具体的には、掲示板で積極的に発言するなど、影響力の大きな会員30人を「口コミリーダー」に任命。口コミリーダーを中心となり、ダイエット体験などを語り合う現実世界での合宿イベントをこの4月以降に開催する。優良顧客の経験談を既存の会員以外にも広めてSUSブランドの認知を広げる狙いである。
3. エクシング:履歴情報とウェブで楽しさ拡張、持ち歌や仲間を探す場を提供
仮想空間を動き回ったり、ユーザーが自発的に経験を書き込んだりするような場をプロデュースするには、じっくりと取り組む心構えが必要になる。だが、ユーザーの活用履歴を自動的にネットで吸い上げる機能を商品に組み込めれば、手軽に経験価値を見える化し、高める仕掛けを作れる。 典型的な例が、カラオケ店向けに業務用通信カラオケ機器を販売するエクシング(名古屋市)の取り組みである。同社は2006年11月、業務用通信カラオケ端末の新製品「HyperJoyWAVE(ハイパージョイウェーブ)」の発売と同時に利用客専用のSNS「うたスキ」を開始した。
3.1 ウェブ上で新たな楽しみ方を提案
同社がうたスキを始めた背景には、1990年代以降に繰り広げて来たスペック競争への反省がある。通信カラオケ業界は新曲を提供できるスピードや曲数の多さ、音のリアルさなどを競い合い、今や歌える曲数は12万曲にも達した。 ところが同時期、顧客はカラオケから離れ、顧客人口は1994年をピークに1000万人も減った。利用頻度も低下が続き、2000年代前半には「半年に3回以下」というカラオケ店利用客が過半数を占めてしまった。 危機感を抱いたエクシングが顧客にヒアリングしたところ、「どんな曲を歌えばよいのか分からずに戸惑う姿が浮かんできた(堀江昌弘うたスキビジネス部うたスキ推進グループ長)。そもそも自分か歌いたい曲、歌える曲が分からない顧客に12万曲という曲数を掲げたところで効果は薄い。 そこでエクシングはカラオケ機器本来のスペックを競うのではなく、「カラオケで歌う楽しさを体感しやすくする(高木司うたスキビジネス部長)コンセプトで商品価値を高めようと発想を変えた。顧客が自分に合った曲を見つけられ、さらにカラオケがもたらす楽しい経験を見える化できるウェブサイトを用意することがその答えだった。
--- 【図】エクシングはカラオケの楽しい経験を見える化して顧客の来店頻度を高めた --- うたスキは、カラオケ店に設置された端末から取得する履歴データを活用して顧客経験を見える化することで、機器の利用価値を高めている。 その工夫の1つが同サイトのメニュー「マイうた」だ。過去にカラオケ店で歌った曲の履歴を、会員がネット上で確認し、レパートリーとして登録できる。カラオケ店に再訪した際には、マイうたから手軽に曲を選べるので、曲を探す煩わしさを解消できる。それだけでなく、自宅などでマイうたに登録する過程で「あの曲を歌って楽しかったな」と経験を振り返る機会や、「次はこれを歌おう]というワクワク感をもたらし、来店頻度の向上につなげているのだ。 このほかにも、カラオケ店の機器から吸い上げる履歴情報を活用して、再来店したくなるよう仕向ける仕掛けがある。 例えば、友人検索機能の一種である「フレンドを探そう」には、うたスキならではの機能を備えた。会員が過去に歌った曲の履歴情報に基づいて、同じような曲を歌った別の会員を“友人候補”として提案するレコメンデーション機能だ。 同じ曲を歌っている会員同士は、趣味が近い可能性が高い。リアルの世界では見ず知らずの関係でも、歌を媒介に親交を深められる。気の合いそうな仲間と巡り合って盛り上がるという経験価値も、カラオケを楽しむ意欲を高める。 見知らぬ相手と友人関係を結ぶのは気が引けるという会員にも、レコメンデーション機能は楽しさを提供する。うたスキが提案した“友人候補”のマイうたを参照すれば、自分に合った曲を探すヒントになるためだ。新たに歌ってみたい曲が見つかれば、カラオケ店に足を向ける動機になる。
--- 【図】歌った曲の履歴から友人候補を提案 ---
3.2 対応端末は異例のロングセラーに
競争する楽しさも演出している。「全国採点ONLINE]はその名の通り、カラオケ店で歌った曲を端末が採点した記録をランキング化したものだ。1人だけでなく、5人のチーム制でも競える。うたスキ会員のおよそ4分の3が利用するほどの人気を集めている。 さらに「あまり歌われていない曲をあえて選び、多くの曲で1位を獲得する会員が見られるようになった(堀江グループ長)。顧客経験価値を共有してもらった結果、会員自身が新たな楽しみ方を生み出した格好だ。 うたスキの会員は、サービス開始から1年余りで100万人を突破。その後も順調に増え続け、2009年2月末時点で228万人に達している。会員がカラオケ店に訪れる頻度は、2007年度末のデータで月間3.75回。同時期の『カラオケ白書』(全国カラオケ事業者協会)の調査結果と比べると1.6倍にも達する。 うたスキ対応端末のHyperJoyWAVEも異例のロングセラー商品になった。「多くの端末は発売から1年ほどで売れ行きが細るが、HyperJoyWAVEは発売から2年以上経過しても指名買いが続いている」(高木部長)。うたスキ会員がカラオケ店に要望を出している可能性が高い。
4. パナソニック、三井不動産レジデンシャル:まず顧客のきずなを作る、既存のファンの力も生かせ
これまで見てきたように適切な顧客経験価値を見える化して提示すれば、「この経験を得るにはこの商品・サービスでなければ」という強い印象を顧客に与えられる。 ほかの顧客が味わった経験を自分も追体験したいという意識も生み出す。良好な経験が得られる場を提供する企業に信頼感を抱き、顧客が進んでファンになってくれるようになる。 しかし、ただ単に「顧客経験価値をここで知ったり体感したりできますよ」とアピールするだけでは顧客の心に響かないことも事実だ。これまで登場した先進企業の競合相手が同種のサイトをほぼ同時期に立ち上げたものの、後に大幅なリニューアルや閉鎖を余儀なくされた例もある。 成功と失敗の分かれ目は何だったのか。成功企業の取り組みや識者の意見を総合すると、3つのポイントが浮かび上がった。 ①顧客の経験談が広まりやすくなる仕掛けを作る、 ②顧客経験価値の効果を定量化する、 ③知識の深さやロイヤルティーの高さなど段階別にコンテンツや情報を用意して見込み客を優良客に育てる---である。
--- 【図】ネットを駆使した顧客経験価値の活用術・3つの心得 ・経験が広まりやすくなる仕掛けを作れ 顧客同士が結び付きを強めれば、顧客経験を広め合い、愛着が強まる ・顧客経験価値が及ぼす効果を定量化せよ 「親友に推奨したいか」を定量化するのが有力 ・関心の深さに応じて提供する顧客経験価値を設計せよ 段階ごと、チャネルごとに適切な顧客経験価値を提供することで、顧客の知識・関心を育てられる ---
4.1 経験談を広めて仲間との―体感を与えよ
①は、顧客同士の結び付きを促して「同じ経験を知る仲間と場を共有している」という一体感を顧客にもたらす施策である。一体感を得た顧客は、そのサイトに愛着を抱くようになる。 SNSなどを運営する場合は、まず顧客が仲間を見つけやすくする仕掛けを設けたい。エクシングがうたスキで実施している、歌った曲の履歴を基にした友人レコメンデーション機能が典型例だ。 仲間を見つけてもらうための検索機能にも工夫の余地がある。アサヒフードアンドヘルスケアのclubSUSでは、年齢や性別などの一般的な条件のほかに過去に試したダイエット手法や、本好きやスポーツ好きといった趣味などの条件でも仲間を検索できるようにしている。ライフスタイルやダイエット経験が似た顧客同士は互いの経験を参考にしやすく、結び付きを強めやすい。 clubSUSのダイエット塾のようにイベントも顧客の経験を広め合う場として有効だ。特に顧客同士でチームを組んでもらうようなイベントは、自然な形で関係性が生まれやすい。 野村総合研究所の山崎秀夫・社会ITマネジメントコンサルティング部上席研究員は、「米国のSNSでは仮想的なギフトを交換する習慣作りのイベントが頻繁に開かれている」と紹介する。例えば、バレンタインデーに仮想の花束やチョコを贈るなどだ。ギフトをやり取りする温かい気持ちを疑似体験してもらうことで、実際のギフトをプレゼントする意欲を高めてもらおうと、花き業者などが仕掛けているという。
4.2 「親友に薦めたいか」を定量化せよ
ネット上で凝った仕掛けを作ろうとすれば、それなりに費用も人手も要するだけに投資対効果の議論は避けて通れない。また、いったん取り組んだ後に、PDCA(計画・実行・検証・見直し)をうまく回すためにも、事前に効果の定量的な測定方法を決めておくことが第2のポイントだ。 ただし、顧客の盛り上がりやロイヤルティーのような心理的な要素の定量化になかなか決定打はない。先進企業の間でも測定法は各社各様だった。 測定しやすい指標例としては、「サイト上で製品の愛用者登録をする会員の数」がある。顧客の利用体験談などを掲載する製品愛用者向けのコミュニティー・サイト「CLUB Panasonic」を運営しているパナソニックがこれを採用している。 同社の山本雅道デジタルAVCマーケティング本部企画グループCRM推進室長は「使用者登録をする会員が増えれば売り上げにも貢献する可能性がある」と語る。前身のサイトを運営していた2004年にグループ会社と共同でアンケートを実施したところ、愛用者登録をしている顧客は、それ以外の顧客よりも生涯の平均購入金額が2倍も高いことが判明した。パナソニックに対する信頼度の高さがうかがえる。アンケートの回収率は30%にも達し、一般のアンケートとは比較にならないほど高いという。 先進的な指標として、野村総合研究所の田中上級研究員は「欧米ではネット・プロモーター・スコア(NPS)を活用する企業が多い]と紹介する。 NPSはコンサルティング会社の米ベイン・アンド・カンパニーが考案した指標で、顧客が利用した商品やサービスについて、親友に推薦する可能性をO~10の数値で評価してもらうもの。9~10を付けた顧客を「プロモーター(推奨者)」、6以下を付けた顧客を「批判者」と設定し、その比率の引き算の数値を指標とする。値が高いほど、顧客経験価値に満足している顧客が多いことになる。 田中上級研究員はNPSの点数を付ける際に理由を自由記入形式で尋ねることも勧める。顧客の定性的なコメントから改善点を探るためだ。抽出したコメントと、サイト上での顧客の行動履歴とを照合すれば、改善すべき点も絞りやすくなる。
--- 【図】2つの質問で顧客経験価値の効果をモニタリングする Q1: あなたは親友にこのサイトを薦めたいと思いますか? Q2: なぜそのスコアを付けたのですか?(自由記入形式) *Q1は米ベイン・アンド・カンパニーが開発した「ネット・プロモーター・スコア」を利用 ---
ただし、NPSには注意点がある。アサツーディ・ケイの沼田R&DユニットリーダーはNPSの有効性を認める一方で、「日本人は中間の値を付けようとする傾向が強い」と指摘する。尋ね方や数値化にはさらに工夫が必要になりそうだ。 別な考え方として、沼田氏は「顧客のサイトの滞在時間」を推奨する。楽しい経験を享受している顧客は、滞在時間も長くなるというわけだ。
4.3 “先輩"の経験でロイヤルティーを高めよ
第3のポイントは、見込み客を優良客に育てるため、顧客の知識・関心別にコンテンツや情報を用意することだ。 顧客の知識や関心を高めるには、企業が自ら取り組むだけでなく、既存の優良顧客の手を借りるのも有力だ。住宅販売大手の三井不動産レジデンシャル(東京・中央)の取り組みが参考になる。 同社は、購入前の見込み客を関心度に応じて「潜在的ステージ」「需要の顕在化」「本格検討期」に分類している。それぞれの関心のレベルに合わせたサィトを運営し、見込み客の知識・関心を高めている。このうち、需要の顕在化フェーズの見込み客の知識を育てるため、既存顧客の力を借りる。「既存顧客の生活経験は他社にはまねできない差異化のポイントであり、ファン形成にも役立つ」(末吉一敬・営業マネジメント本部マーケティング部ブランドマネジメントグループ主査)
--- 【図】見込み客の需要が顕在化した段階で既存顧客の手を借りる 見込み客を3段階に分類しサイトを用意 ---
具体的には、既存顧客から有志を募り、「住まいの先輩」として組織化。「みんなの住まい」と「Life三井に住んでいます」の2つのサイトで、既存顧客の生活スタイルを紹介している。 「みんなの住まい」では、「休日の過ごし方」や「居住地域周辺のおすすめ店舗の情報」など、生活に密着した質問が中心のインタビュー記事を掲載している。このほか、見込み客からの質問を受け付け、既存顧客が答える場も設けている。 もう一方の「Life三井に住んでいます」は、既存顧客が出演する動画サイトである。出演する顧客の宅内や、街の様子を映しながら「暮らし始めて実現できたこと」「住んでいる街のお気に入りの場所」などの質問を投げかけている。 両サイトを通じて見込み客が知識や関心を高める過程で、三井不動産ブランドヘの認知と愛着が高まることを期待している。 以上のように顧客経験価値をネット上で見える化し、高めるための手法は確立しきっていない部分が多い。だが「米リンデン・ラボの仮想空間『セカンドライフ』のように成功するかどうか分からない試みでも、まずは取り組んで経験を積むべきだ。失敗に終わっても、そこから得るノウハウは確実にある」と野村総合研究所の山崎上席研究員は指摘する。今から新たに取り組む企業でも、失敗を恐れずに取り組んでいけば、先進企業をキヤッチアップできる可能性は十分にある。 |